2007年12月02日

1人欠けている

今日は、友人の母親の葬儀の日でした。

おばさんに出合ったときの、おばさんの年齢をすでに越してしまっています。

友人との付き合いは、中学2年のときに同じクラスになってから。

高校・大学・社会人として進む道は違っていましたが、
年を重ねて、それぞれが家庭を持つと、会う回数も減ってきました。

それでも、いつ会っても、どんな時でも、
何も飾る必要も無く、本音で話せる友人です。

突然の相談にも、ちゃんと受け止めてくれる大切な友人です。

このように同じ付き合いの友人は数人いますが、
特別に仲の良いのは、私を含めて4人です。
お互いの親や家庭のことを知っての付き合いです。


年老いて、看病に疲れた喪主の父に代わって、
長男の友人は、しっかりと葬儀を勤めていました。

もう、おたがいそれなりの年齢です。
でも、親との別れは、幾つになっても辛く悲しく寂しいものです。

写真のおばさんの顔は、年老いて長かった闘病生活でとてもやつれていました。
棺おけの中のおばさんの顔を拝見させていただくと、
年老いた顔だけど、昔の頃の優しい笑顔そのものでした。

友人の母を失った悲しみ身と悔しさの涙を見ると、
おばさんの優しい笑顔を思い浮かべると、
一緒に参列していた、友人も私も涙が出ます。


葬儀が終わり、友人たちと食べにというか飲みに行きました。
昼の2時過ぎから開いている居酒屋はなく、
回転寿司に入って、寿司をつまみながらお酒を飲みました。
当然、食べるより飲むほうが多いです。
3時間そこで飲んでいて、5時になったから焼き鳥屋さんへ。

35年以上の付き合いですから、
昔話から、最近のことまで話し続けます。

お互いできるだけ、悲しい話題を避けてはいますが、
どうしても、どうやっても、どんなに遠くの話をしても、
行き着く先は。

いつしか3人で泣いています。
いい年したオヤジ3人が、涙を流しています。
おしぼりで涙を拭いても拭いても出てきます。

今、これを書きながらも涙がこみ上げてきます。

親しい友の気持ちは、みんなわかっているから。


いつかは通る道だけど、普段はまったく考えていないことだろうけど。

自分の母親が病に倒れ、その日が来ることがわかっていても、
本当の覚悟なんてできません。
心の中には、まだ・もっと・もしかしたらという言葉しかないのです。

両方あわせて7時間飲んでいましたが、それでもお互い帰りたくは無かったです。

親しい友と同じように、親しい友たちは、とても悲しく、寂しいのです。


いつもなら、4人で飲んで騒いでいるのに、
今日だけは、3人になってしまいました。







posted by やんじ at 23:18| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 大切なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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